先日、立正佼成会病院小児科の中原利郎医師の殉職に対して、過労死の判決が下されたことは記憶に新しいと思われるが、なんと一部のメディアは同医師を「病院に殺された小児科医」と報道した。この表現は無知極まりなく、かつ現場を知らずして書いた記事として甚だ不適切である。
約十五年前、医師過剰時代が来ると、医学部定員を減らした厚生省(当時、現厚生労働省)の失策は愚かであり、それによって中原先生が殺されたことは明白である。それを、この場に及んでメディアまで「病院に殺された」とはあまりにも無知過ぎる。
殉職とは職責のために生命を失うことであり、しばしば警察官や軍人に使われるが、彼は殉職に間違いなく、立派な最後を迎えたと私は頌辞(しょうじ)を奉げる。最近の話題として、高校必修科目問題の責任を取って自殺した佐竹高校(常陸太田市)の校長先生も同様に殉職であり、私は日本人の倫理観として絶賛すべきものであると思う。
死ぬぐらいなら何でもできるとのたまう臆病者は、武士にあらずして崇高な武士道をけなす者である。ナショナリズムとはいったなんだろうか?国家主義、民族主義として否定されるが、武士は主君のため、国民は国家のため、医者は患者のために命を奉げ、忠誠を尽す。これをナショナリズムとするならば、ナショナリズムを失った日本人は、生きるための「なりわい」しか求めない「商人」と成り果てたのではないだろうか。
医者も教師も一億総国民が「商人」と化し、社会貢献を知らない日本の国民は献身のかけらもない。前述した二人の先生は、絶賛に値するものであり、くだらぬ国家を相手取って訴訟をする必要も無い。
話を元に戻すと、医者には夜勤という言葉はなく、従って明けはない。つまり、夜間救急患者を診ても、翌朝から多くの患者を診察しなくてはならない。
某病院外科医の勤務状況を紹介しよう。
月=7時出勤(外来、手術、設計打合せ)22時帰宅
火=7時出勤(救急外来、内視鏡、病棟)23時半帰宅
水=7時出勤(外来、手術)翌日未明3時半帰宅
木=7時半出勤(外来、手術)22時帰宅
金=7時出勤(朝礼、内視鏡、往診、手術)翌日未明2時帰宅
土=7時半出勤(外来、手術、検査、施設行事参加)22時帰宅
日=8時半出勤(会議、研修会)19時半帰宅。
一週間168時間中111時間の勤務になる。このように、救急医療をする現在の医者は全て「中原先生」になる現状を常にはらんでいる。皆、立派な殉職をしようではないか!厚労省に極めて有効な対応を期待してはならないし、はたまた、国民の医療側への甘えなど誰を責めるべきでもなく…。
厚労省は医者が増えることによって医療費が上がってしまうと考えた。それならば医療費とは何だろう。医者の「なりわい」のためか。そうでなく、患者がクオリティの高い医療と生活を得るための医療・介護費ではないのだろうか。
日本の医師数はOECD加盟30国中27番目と少ない。GNP世界二位のリッチな日本は甚だ貧しい生命感しか持てない民族であり、いさぎよい死を望む国民なのだろうか。それとも甚だ愚かなのだろうか。後者であることは明白である。ナショナリズムとプライドをなくした日本人へ。